再会



ゆっくりと鍵を回した。
金属製のドアノブが、手袋越しに芯からの冷えを伝えてくる。そういえば、車のラジオでも明日は積もると繰り返していた。どうりで寒い筈だ。
「……ただいま」
控えめな言葉と共に足を踏み入れれば、思いのほか濃い暗闇が顔を出す。予想していたより随分遅くなってしまった。
こんな時間だ、同居人はとうに眠っているのだろう。
しんとした廊下の暗さを見ると、一人暮らしの時分を思い出して少し寂しい。今度から玄関の電気を点けるよう頼むべきかと苦笑しつつ、睡骨は靴を脱いだ。
ひとまずコートを壁に掛けて、ソファに座り込む。ともすれば、そのまま沈み込んでしまいそうである。
時計を眺めれば、あと五分で日付が変わろうかという頃合いだった。湯船に浸かって温まりたい気持ちはあるものの、今すぐ眠ってしまいたい誘惑も強い。
(荷物は…まあ明日でも構わないか。洗濯と、買い出しと……。ああ、第三金曜日だから新聞も出さないと)
何せ、この家に帰るのは三ヶ月ぶりだ。夜勤や一日二日の泊りならよくあることだが、他県への出張でこれ程掛かるのは珍しい。通常業務に加え、指導や研修もこなす日々が続くとさすがに疲労が溜まる。
やはり風呂は朝にしようと大きな欠伸を漏らした。運転中はそうでもなかったのだが、帰宅して気が抜けたのか、瞼が猛烈に重たい。
とりあえず、倒れこむ前にせめてゴミだけでもまとめようと台所を覗いた睡骨は、その景色に違和感を覚えて首を捻った。
違和感と言っても、炊飯器から異臭がするだとか、空のカップラーメンが山積みで放置されているだとか、そんな訳ではなく。むしろきちんと整理整頓されて見える、……のだが。
(というより、これは……)
ひょっとして、一度も使っていないのだろうか?
その可能性に思い当たり、睡骨は微妙な面持ちになった。

三ヶ月前のことだ。

日頃料理をしない同居人を気遣い、向こう三日分の食事の用意をしてマンションを出た記憶がある。ついでに、不在を良いことに好き放題飲酒しないように、なんて書き置きを残した気もするのだが、それはさておき。
見れば、酢の物や肉じゃがを詰めたタッパーは元の戸棚にしまわれていたから、これはきちんと食べてくれたのだろう。……が、それ以外で、ここで自炊をしたのだろう形跡が少しも感じられなかった。
まあ、全て外食や宅配で済ませていたとしてもそれはそれで構わないのだが、ゴミ一つ見当たらないのは些か不思議だ。冷蔵庫も空っぽなものだから、睡骨は明日の買い物リストを脳内で広げながら、廊下へと足を忍ばせる。目指すは手前左の扉へ。
しばし逡巡してからの小さなノックに、やはり返事は無かった。彼を起こしたい訳ではないのだ。そのまま通り過ぎて自室に向かうべきなのは明白だった。それでも、少しだけ、とささやかな衝動が胸の奥で囁いて、右手はゆっくりとドアノブを捻っている。
廊下から漏れ込む光。それを頼りに薄闇へ目を凝らした睡骨は、予想だにしない事態に身を強張らせた。
「蛮骨……?」
てっきりそこでいつものように丸まっているとばかり思っていたのに、壁際のベッドは無人だった。それも未使用の台所と同様、三ヶ月前に睡骨が綺麗に畳んだ、そのままの状態である。
ここで眠ってすらいないのか。なら、彼はどこにいるのだ。
心臓が不穏な音を立てた。握りしめた手は冷たいのに、嫌な汗が滲んでいる。
─この、三ヶ月。
彼と、一度も顔を合わせていないのは事実だった。それでも、携帯を通じたやりとりは毎日ずっと続けていたのだ。
蛮骨の綴る文面は簡素なもので、絵文字の一つも使わない。人によっては愛想が無いと感じるものなのだろう。
けれど、仕事の合間を縫って送ったメッセージには、必ず返事を寄こしてくれる。その言葉を見る度、睡骨の心はどこかこそばゆいような、温かな気持ちで包まれていた。例えばそう、おはようとおやすみなんかは、地味だけれど一度も欠かしたことが無かったのだ。
『……ああ、わかった』
五時間前、今から帰ると知らせた際の素っ気ない声も、至っていつも通りだった。特に変わりない様子に安心すると同時に、一抹の寂しさを覚えたのは秘密である。
そもそも、メールで済ませて良かったものを電話したのは、単純に声を聞いておきたかったからで、少しでも早く会いたかったからだ。
そうだ、要するにこの三ヶ月ずっと─自分は、彼に会いたいと思っていたのだ。
(頼むから出てくれ……)
このマンションにいないのだとして、心当たりが全く無いではない。もしその通りならば胸の奥が痛むのもまた事実だったが、今はそれでも構わなかった。彼が無事で、良からぬ事件に巻き込まれてさえいないのなら。
そんな焦燥とは裏腹に、呼び出し音が耳奥で反響する。三回、四回、五回と、途切れる気配はない。
諦め悪く、コールが十を超えようとした時である。
睡骨はふと、辺りを見回した。何かが鳴っている。音というより、微かな振動に近い─バイブレーションだ。
耳元で流れ続けるコールと明らかに連動しているそれに気付いた瞬間、睡骨は廊下へ飛び出し、奥の扉を開けていた。
「……」
ああ、成程なあ。
心の中でぽつりと呟くと、長い息を吐く。目の前の光景に脱力する反面、自分がいかに妙な思い込みで動揺したのかを突きつけられ、可笑しかった。携帯を閉じ、先ほどとは打って変わって明るい室内へと踏み出していく。
振動を発していた機器は畳の上に転がっていた。ついでにその周りに点在している焼酎の缶も拾い集めながら、壁際の丸まりへ近寄っていく。
「蛮骨」
小さく呼びかけると、抱えた枕越しの寝息だけが返ってきた。普段の編み方で癖のついた髪には、まだ湿り気が残っている。睡骨がこのところすっかりドライヤー係と化していたから、自分で乾かすのを面倒くさがったに違いない。そんなことを考えながら頬へ触れると、なんとも言えない愛しさが募った。
「…ただいま」
今は聞こえていなくとも、目が覚めたら伝えよう。きっと、そのために、ここで待ってくれていたのだから。
睡骨はその背を寝かせると、残っていた気力を振り絞って電灯の紐を引く。風呂はおろか、寝巻に着替えもしていないし、ゴミ出しだの買い物だのといった全てを放り出していたけれど、そんなことはまた明日考えれば良い。
横たわるなり、すぐさま落ちていく瞼に抗うことはせず、傍らの恋人を抱き寄せた。冷えた身体が、湯たんぽのような体温でじんわりと満たされていく。

……かわいいひと。

ごく自然に胸に込み上げる感情の、その代わりのようにおやすみと呟いて、睡骨はそっと意識を手放すのだった。
再版

再版

BOOTH

↑お声がけ頂いた分を再版した(ありがとうございました!)余部が少し残っているので、在庫限り開いています。
今回で最後になるかと思うので、ご興味もってくださった方がいれば。
(※23日以降順次発送予定です)

画像は初版時のおまけです。貰って下さった方ありがとうございました。

いろいろ滞ってたものを片付けたりなんやかんやしてたら土日があっという間に終わってしまっておいおいって感じなんですけど一日が48時間になったら良いのにな〜!
という(?)リハビリ…、、
睡骨先生は仕事が忙しくておせち詰める余裕は無いのでネットで注文したやつが届くのをすっかり忘れてたけど大兄貴が前日受け取りしてくれてたので無事に解凍できた
素敵な頂き物

素敵な頂き物

誕生日はとっくに過ぎてるんですが、思わぬタイミングでとてもとても嬉しい誕生日プレゼント頂いてしまって小躍りしてました。
この冬の寒さにじんわり染み入るようなあったかい睡蛮です。これ自体が素敵な挿絵のような雰囲気で……。いつかこの2人の話を書けたら良いなと思いました。
本当に本当にありがとうございました。
ちょっと気持ちが落ち込むことがあって諸々一時休止していたのですが、少し持ち直してきたのでブログだけ戻してます
とは言っても、今ちょうど資格勉強とかしてるのでどのみちキリが良いとこに来るまではしばらくお休みなのですが…笑

個人的にはpixivから移動する体力がもう残ってないので移転するつもりは無いのですが、また公開するかは少し考え中です。

つい数日前に睡蛮の素敵なお話読んで夜中に真面目に泣いたくらいには元気です(?)
生前の睡骨先生は多分元から自分はいつ終わっても良いと思ってるところがあって、それは七人隊に加わることになってからより濃い願いになっていったんですけど、唯一ああ今自分が倒れたら駄目だ、まだ駄目だ、という自発的な感情を抱いたのが討伐時北の寒村に逃れていく最中であったなら辛いなと思った
睡骨が一瞬主導権を失うくらいに深手を負ってしまって、このままではあまり持たないことが睡骨先生もはっきり分かっている。ほんの少し前まではもう疲れた、終わりたいという感情しか残っていなかったのに、でも今ここで自分が先に死んだら、彼はどうなるんだと、出血する傷口を無理矢理焼いて塞いでから大兄貴の手当をする睡骨先生も良いな。睡蛮です。
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