お兄ちゃんのことお兄ちゃんであり幼女だと思ってる節があるのでお兄ちゃん単体で描くと段々手癖で幼女化していくが、悠仁くんを隣に配置することでお兄ちゃんにせなという意識が高まっていく気がする(?)
モジュロの悠仁くんやっぱりこれは自分がどれだけ力を使いこなせるようになろうとそこに兄はいないになってませんか?????
きっと今なら術式で血の繋がりが本当に分かるんじゃないかな、でもそれを確かめることは一生叶わないんだよ………
お兄ちゃんの150年は弟たちが隣にいてくれたからこそ耐えられた、それでも一番しんどかったものなので悠仁くんが本当に独りでいるならしんどくて当然というか昔のままでいられないのはそらそうでしかないよなすぎるし、だからこそお兄ちゃんがあのまま隣にい続けてくれたら随分違っただろうというのが見て取れて……
お兄ちゃんの赫燐躍動・載の顔毎回えっちじゃない?好き
人ってやっぱり自分がされたいことを人にしてあげるもんだよなと思ってるので、弟が寒さを気にせずに済むように話をするお兄ちゃんも、弟たちを愛して止まないお兄ちゃんも、何よりお兄ちゃんが独りになることを恐れてたからの裏返しなんじゃないかなと思って……本当はお兄ちゃんが一番寒がりで怖がりなんだ、内緒だぞって笑うお兄ちゃんと俺は寂しがりなんだけどねって心の中で呟く悠仁くんください
お兄ちゃん、たとえ世界の全てを敵に回しても俺はオマエ(弟)の味方だを地でいく男すぎて、何が良いって「できない」を理由に諦めないところだよなって思います 「やる」んだよ(根性で)っていうのを一貫して感じる……たとえ明らかにレベル帯が自分より格上の敵でもそれを理由に撤退なんてしないんだよね、お兄ちゃんだから………………
お兄ちゃんが母の呪いを自分の半身と言ってるのがめっちゃ好きなんですが、お兄ちゃんって他の弟たちとは違って明確に母のことを認識して母として愛してるんですよね 苦しんでおかしくなってくところを目の前で見てたんだろうな……
お兄ちゃんがあれだけお兄ちゃんに拘っているのは母から貰えた呪い(愛)の言葉がそうだったのなら良いなという妄想をしてます
そもそも呪胎九相図、途中で堕胎してることを思うと実際かなり早いスパンで妊娠を繰り返させられてた可能性があり、お兄ちゃんはお兄ちゃんと言いつつ年齢的には皆ほぼ同じ年に生まれてる可能性ある?とか考えてたら羂索パパの鬼畜の所業度合いが最悪になってしまうだけだった
悠仁くんは五条先生やナナミンの死はもちろん辛く苦しいことではありながら「思い出」にできるというか、やがてはお墓参りにでもやって来てこんなことがあったって話したりできるんじゃないかなと思うんですけど、お兄ちゃんのことは正直誰とも同じ温度で共有できることはなくて、お墓すら作れないまま、表面上「無かったことになっている」んじゃないか…みたいな妄想をしてしまう
もし誰かに脹相は○○だったよなって思い出話をされても、悠仁くんは真顔になってぎこちない相槌しか打てない 「思い出」にできていない、したくないみたいな感情