真昼の夢のあとがき
後書きとして書いとかないといけないのではと思いつつ結局書けなかった漫画内の補足というか脳内設定の話です。思いついたら増えます
・後半冒頭の睡骨先生の回想(悪夢)
生前、七人隊と行動を共にしていた睡骨先生は、どこかの村で子供たちとひっそり交流を持っていた。が、諸々の経緯でその村を七人隊が襲う形となり、結果的に睡骨先生は自分(睡骨)の手でその子供を殺してしまう。というようなことが多分何度かあって(=繰り返してしまったこと)以来、睡骨先生は外の人間と関わりを持つのを避け、七人隊の内に篭もるようになる。その庇護の手や慈しみの感情はある種必然的に九つ離れた大兄貴に対し優先的に注がれるようになって……、というのが真昼の夢の後半部分でした。
回想部分は特にページが足りてなくてごちゃごちゃしている……と自分でも思ってたのですが、睡骨先生が精神的にかなり追い詰められている状況を表現したくてあんな感じに。
睡骨先生が唯一誰かを殺したいと考えることがあるとすれば、それは自分自身(※睡骨ではない)なのだろうと原作を読んでからずっと感じていて、それを描きたかったのだと思います。
睡骨先生にとって、大兄貴は救いであると同時にこの地獄を生み出す切っ掛けを作った当人でもあったと私は思っていて、でも睡骨先生はそこから無意識に目を逸らしている。そんな睡骨先生が、自分自身と錯覚した錯乱状態といえどその首を本気で絞めてしまったことで、自身の奥底にある薄暗い感情の一端を自覚したのなら良いなと。ぎりぎりの精神状態の中で睡骨先生は「自分を終わらせて欲しい」と口にしてしまいそうになるのですが、そこで辛うじて残っていた理性と僅かな思い出に繋ぎ止められる。こんな形で、自分が忌避する人殺しを彼にさせてはならない、と。
原作本編で睡骨先生の首を斬ったのが蛇骨である、というところが私は好きなのですが、大兄貴はそんな風には睡骨先生を終わらせてはくれない人なんだろうなというところにずっとしんどみを感じていて……。だけど睡骨先生は(最期桔梗さまに魂を救ってほしいと口にしたように)一度は大兄貴の手で終わらせて欲しいと願ったのではないかなと思います。
・後半冒頭の睡骨先生の回想(悪夢)
生前、七人隊と行動を共にしていた睡骨先生は、どこかの村で子供たちとひっそり交流を持っていた。が、諸々の経緯でその村を七人隊が襲う形となり、結果的に睡骨先生は自分(睡骨)の手でその子供を殺してしまう。というようなことが多分何度かあって(=繰り返してしまったこと)以来、睡骨先生は外の人間と関わりを持つのを避け、七人隊の内に篭もるようになる。その庇護の手や慈しみの感情はある種必然的に九つ離れた大兄貴に対し優先的に注がれるようになって……、というのが真昼の夢の後半部分でした。
回想部分は特にページが足りてなくてごちゃごちゃしている……と自分でも思ってたのですが、睡骨先生が精神的にかなり追い詰められている状況を表現したくてあんな感じに。
睡骨先生が唯一誰かを殺したいと考えることがあるとすれば、それは自分自身(※睡骨ではない)なのだろうと原作を読んでからずっと感じていて、それを描きたかったのだと思います。
睡骨先生にとって、大兄貴は救いであると同時にこの地獄を生み出す切っ掛けを作った当人でもあったと私は思っていて、でも睡骨先生はそこから無意識に目を逸らしている。そんな睡骨先生が、自分自身と錯覚した錯乱状態といえどその首を本気で絞めてしまったことで、自身の奥底にある薄暗い感情の一端を自覚したのなら良いなと。ぎりぎりの精神状態の中で睡骨先生は「自分を終わらせて欲しい」と口にしてしまいそうになるのですが、そこで辛うじて残っていた理性と僅かな思い出に繋ぎ止められる。こんな形で、自分が忌避する人殺しを彼にさせてはならない、と。
原作本編で睡骨先生の首を斬ったのが蛇骨である、というところが私は好きなのですが、大兄貴はそんな風には睡骨先生を終わらせてはくれない人なんだろうなというところにずっとしんどみを感じていて……。だけど睡骨先生は(最期桔梗さまに魂を救ってほしいと口にしたように)一度は大兄貴の手で終わらせて欲しいと願ったのではないかなと思います。