この世で心底殺してやりたいと思ったのはたったの三人だ。
一人目は先に土の下に埋まっていた。二人目は灰になるまで焼いてやった。

「……あのひとが、お前を必要としているだろう」

パチン。
渇いた音を立てて散った火の粉が、俯く顔に影を刻む。
滲んだ汗。ようやく止まった手が無造作にそれらを拭うと、掠れた赤が頬を汚した。この行為の空々しさを一層曝け出すかの如く、妙に鮮やかで生温い、己の肉と血。
「ああ……」
燃え盛る炎が唸り声を上げて渦巻いている。例によって目の前の男が何事か叫んでいたが、そんなことはもう、どうでも良い。
息を吐くと、肺を灼いた熱と共に奇妙な衝動が込み上げ、喉を微かに震わせた。抑えきれない、腹の底から湧き上がる、この感覚。
「──なあ…、睡骨」
その日三人目を見つけた煉骨は、声を上げて笑った。

軋みと、古びた木の匂い。

目を覚まして最初に知る感覚は、まだ少し慣れない。見上げた梁の先を、小さな蜘蛛の子が這っていく。
器用なことに、この数時間でもう立派な巣を作ったらしい。掃除の手も届かない隅の隙間で、埃とともに息を潜めている。耳を澄ませば、天井裏で何かが走り回る気配があった。それらは決して不快ではなく、まるで部屋全体が呼吸しているかのような錯覚を睡骨に与える。
この屋敷が生まれてから降り積もった、長い時間を示すように。そしてそこで眠る自分自身が、少しずつその一部になっていくような、奇妙な感覚を。
「蛮骨……」
無意識に口をついで出た名前に苦笑する。確認する癖は抜けないままだ。気怠さの残った上体を起こして辺りを見回すも、やはり部屋には誰もいない。
息を吐くと、鈍い痛みが走った。指を伸ばせば、襟元のざらついた箇所に触れる。
血の乾いた跡だ。
……それが、「彼」がここに居たことの唯一の証明である気がして、首筋をぼんやりとなぞる。
未だ慣れない、その痕を。


窓から差し込む夕日は、既に夜の気配を纏っている。ベッドを抜け出た睡骨は、ふらつく足を引き摺りながら階段を下りた。ぎいぎいと木霊する音が、階下の薄闇へ吸いこまれていく。
すると、妙に長く感じる道の先で、昼の時刻を指したままの針が見えた。どうもこの頃、振り子の調子が悪いらしい。沈黙した柱時計は、そこを中心に屋敷の時そのものを止めてしまっている風にも思えた。
後でどうにかせねばと、中を軽く覗き込む。自分の手で直せる程度であれば良いのだが、最悪町の者の手を借りる羽目になるかもしれない。蛮骨がそういったことを好まないのを知っているから、なるべく避けたいところではあるのだけれど。
少しして火の気の無い台所に足を踏み入れると、先程横たわっていた部屋より随分寒々しい気がした。
こんな時間だ、シャツ一枚で足りないのは当然と言えば当然である。せめて上着を羽織ってくるべきだったのに、思い至らないのは頭が満足に動いていない証拠だろう。元々今日は休むつもりをしていたから良かったものの、急患が出ないことを祈るほかない。

この小さな町に戻って来てから半年近く。夏は瞬く間に通り過ぎ、気付けば秋も終わろうとしていた。
自分と同じく冷えた暖炉の前でしゃがみ込み、睡骨はのろのろと火をおこす。カゴの中には川向こうの家から分けてもらった芋がまだ沢山積んであった。あと空豆と。チーズとパンと。卵も、ベーコンも二切れ残っていた筈だ。
とりあえず何か腹に入れなければならない。食欲はあまり無いとはいえ。
睡骨は棚から出したスープ皿をテーブルに並べた。スプーンも。マグカップも。二人分を。
大抵、そうしている内に彼が戻ってくる気配がするのが常だった。気配と言っても、足音や声が聞こえる訳ではない。説明できない直感のようなものがあって、睡骨は逸る気持ちを抑えながら、玄関へ足を急がせる。そしてノックよりも先に扉を開けると、頭一つ分は下から、怪訝な眼差しをした少年が見上げてくるのだった。
「……ああ、おかえり」
安堵を隠しきれずに笑いかけると、蛮骨はこちらの頭からつま先までを見つめ、口を開く。
「飯、食ったのか?」
「いや、これからだが……。良かったら、一緒、に……」
言いながら、睡骨は床がぐにゃりと歪むような目眩に襲われた。思わず壁に寄りかかり、そのままずるずるとしゃがみ込む。
気が抜けた所為だろうか。あちこちから脂汗が吹き出す感覚。立ち上がろうとするも、足に力が入らない。
大丈夫だ、少し休めば歩けるから。そう口にしたつもりの言葉は、声になってはいなかったらしい。靄が掛かったように、暗い底へ全てが遠のいていく。


───軋みと、古びた木の匂い。

「……冷えてるな」

寒くないか、と。目を覚まして最初に触れた体温を、睡骨はそっと撫でた。そうすると彼は頬杖を突いて、お前もだろ、とどこか呆れたような顔をする。
「そんなに冷たいか…?」
起き上がろうとすると、それを阻止するように覆い被さる重みがあって、睡骨はあえなく枕に沈み込んだ。無防備な喉元に、やはりひやりとした指先が押し当てられる。彼は慣れた仕草で脈打つ場所を捉えると、小さな傷痕をゆっくりとなぞった。前髪と息が、皮膚を僅かに掠める距離へ降りてくる。
この行為に決して慣れた訳ではなかったが、恐ろしさを感じることもない。どこかで安堵すら覚えている気がした。それが何を意味するのかは、今はまだ言葉にできないけれど。睡骨は全てを委ねるべく力を抜いて、瞼を閉じる。
ところが、何故だか想像した痛みは訪れず、蛮骨は甘噛みのような仕草を繰り返した。舌先でただ傷口をぬるりと辿って、やんわりと食む動き。
彼のいつもの「食事」とは明らかに異なる様子に、睡骨は落ち着かないものを覚えて息を吐いた。
「……少し戻ったな」
唇を離した蛮骨の言葉がどうやら顔色を指しているのだと気付くと、睡骨は奇妙な羞恥心に包まれる。いつの間にか耳の辺りに宿った熱。ただそれも長くは続かず、微かな不安の影の芽生えと共に、睡骨は彼の頬へ手を伸ばした。
「良い……のか? さっき……足りなかったんじゃ、ないのか?」
私は大丈夫だから、遠慮する必要なんてない。そう伝えたくて髪を撫でると、蛮骨は不意にその手首を掴んでシーツに押さえつけてくる。無言のままもう一度こちらに覆い被さってきた唇は、首筋ではない場所に噛みついて睡骨を塞いでしまった。果たしてこれも「食事」なのだろうか、という疑問が浮かんだのは束の間のことで、彼が奥に隠した尖ったものをこれ以上無いほど近く感じたまま、思考は押し流されてしまう。一瞬の嵐が通り過ぎるように。
睡骨は乱れた呼吸を押し殺しながら、彼の名前を小さく呼んだ。
「───良いから、もうしばらく寝てろよ」
それだけ返すと、蛮骨はごろりと傍らに転がり目を閉じる。その背を緩やかに抱き締めてみれば、確かにずっと、温かかった。
※if
※足欠損有り








呻き声が聞こえ、彼が眠りに落ちたのを知る。
睡骨は起き上がり、暗闇に蹲る姿を探した。昨日は微かな月明かりを頼っていたけれど、今はそれも乏しい。伸ばした手のひらは隙間だらけの床板を撫でるばかりで、すぐそこにある筈の体温にも届かない。
這うように動けば、古びた木がぎい、と乾いた音を立てる。
以前なら、これだけで彼は目を覚ましただろう。いいや、それよりずっと先に───この手が、触れるまでもなく。
「……蛮骨」
呼びかけに返る声はやはり無かった。元より狭い長屋の、その隅の隅にようやく見つけた背は、想像通り冷えきっていて……それなのに、油汗でじとりと湿っている。
毎夜魘される顔が、どんな感情を纏っているのか睡骨は知らない。日が照っている間、彼は以前と何も変わらぬ平静さでこちらを見つめ返すから。それはある意味においては救いであったけれど、同時に自身の底知れぬ無力さを感じさせた。
睡骨は傍らに寄り添いながら、その痛みの中心をそっと撫でてやる。何度も、何度も、祈るように。とうに存在しない、彼の両足を。
「…っ……」
昔、四肢のいずれかを斬り落とされた男たちを診た。傷そのものは癒えたにも関わらず、失くした一部の訴えに苦しめられていた姿を、よく覚えている。切断したまさにその瞬間、叫び声一つ漏らさなかった蛮骨も例外ではなかった。
───薬は気休めにしかならない。
それを知っていて、こうしてただ見ているばかりの己を疎ましく思う。この手で施せる医術だけでは、現状の維持が精一杯だった。もう元になど戻れないことは分かっていても、せめてなんとか、自分の足で立てるようにしてやりたい。そのためにも義肢が必要だった。おそらく、かつて彼が首領として束ねていたあの男なら、そうした技術にも精通していたのだろう。しかしもうどこにもいない。己がここを出て、あてどなく訪ね回るだけで許されるのなら幾らでもそうする。だが今の蛮骨を一人残していくことなど、到底できる筈もなかった。

睡骨はさする手を伸ばし、硬く握りしめられた拳を包み込む。すると、いつもとは違う感触があった。戸惑いと共にゆっくりとなぞる。細くて頼りのないそれ。僅かに土と青い匂いがした。そのどこか懐かしい輪郭の正体に、睡骨は目を開く。
『───今頃になると実を付けるんだ。この辺りでもきっと見つかる』
他愛のない草や花の──、そんな話は、彼にとってはきっとつまらないものだろうと思っていた。それでも、己が与えられる事柄は限られていたから。一日の大半を薄暗い寝床で過ごす彼に、隙間風の冷たさでしか季節を知らぬ彼に───、少しでも何かしてやりたかった。
例え気休めでしかなくとも。

「……泣いてんのか」

不意に間近に落とされた囁きに、睡骨は息を止めた。伸ばされた両手は濡れた頬を掴んで、全てを無造作に拭っていく。すまない、違うんだ。そう応じようとした言葉は満足に声にならず。刹那、ひたりと押し当てられた唇が、睡骨を呆気なく塞いだ。混じる息が、仄かな温もりを帯びてゆっくりと絡み合っていく。
こんなのは駄目だと、誰かが叫んでいた。けれど、ならばどうすれば良かったと言うのか。いつか陽の差す下で、蛮骨が長い三つ編みを揺らして歩く姿を想像した。瞼の裏の残像は、いつの間にか床板の上で押し潰された実のように、暗闇に呑まれて消えてしまった。
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